私が最近読んだ本『木のいのち木のこころ』から一部抜粋を紹介いたします。この本は私が若い時に読んだ本なのですが、先日実家の本棚から見つけ再読しました。良書です。
宮大工『西岡常一』氏の著書です。明治四十一年(西暦1908年)奈良県生まれ。法隆寺金堂、法輪寺三十塔、薬師寺金堂、薬師寺西塔などを手掛けられ、ふんだんな檜を使って堂塔の復興や再建を果たした最後の宮大工棟梁です。
千年の木を育てる
法隆寺の檜は千三百年ほどのところで伐った木が、その後千三百年をたっても材として生きて使われています。木の命と用材としての命を見極めて伐り出され、使われているんですな。これは天然の木やからいえるんでっせ。植林ではこうはいきませんわ。人間が種をまいて育て、山へ移植した木はあきまへんわ。せいぜい五百年ぐらいだすな。自然のなかで競争せず、温室のように育ったのはあきませんのや。
《省略》
やっぱりたった一本の木でも、それがどんなふうにして種がまかれ、時期が来て仲間と競争して大きくなった、そこはどんな山やったんやろ、風は強かったやろうか、お日さんはどっちから当たったんやろ、私らそんなことを考えますもんな。
それで、その木の生きてきた環境、その木の持っている特質を生かしてやらな、たとえ名木といえども無駄になってしまいますわ。ちょっとした気配りのなさが、これまで生きてきた木の命を無駄にしてしまうことになるんやから、われわれは十分に考えななりませんわ。
どうでしょうか?西岡氏は木に対して育った環境、癖、特質を見て、その木を生かすため適材適所を考えてます。自分は人に対してそこまで考えれているのだろうか?人を育てるということになっているのだろうか?考えさせられます。
現在はあまりにも『人』に対して無関心になっていないか?日本の学校はひとり一人を生かすことを考え育成できているだろうか?人の才能や可能性の芽を摘んでいないか?
宮大工が今の日本教育に提言してくれている一冊だと感じました。
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