最近読んだ本で感銘を受けたものを紹介させていただきます。ドラッカーと論語というタイトルの本です。冨安歩先生が書かれた本ですが、ドラッカーと論語を比較しながら時代が変われどなぜこのような哲学が必要であったかを説明してくれています。いつの世も人の根本は普遍的であること理解できます。その一部を紹介させていただきます。
仁とは
論語のなかで『仁』は頻繁に登場し、その鍵概念であることは明らかだが、それが何を意味するかは明確にしていない。この『仁』については後ほど詳しく述べるが、私は以下のような結論に至っている。
"学習回路が開いている状態が『仁』であり、仁たりうるものを『君子』と呼ぶ。"
ちなみにドラッカーは『君子』を『マネージャー』と言っています。
子曰く。過ちを犯しながら、改ないのが過ちである。
子曰く。小人は過ちを犯すと、必ず、取り繕う。
『小人』とは君子と対極に位置し、『仁』が作動しない人物であり、組織のなかでの人の上に立っていけないと『論語』は主張する。
ドラッカーも孔子と同じことを次のように述べている。
”決して間違いや、へまや、失敗をしない人だけは信用できない。そのような人は、食わせ物か、それとも無難なこと、既に試されたこと、とるに足りぬことに安住する者である”
この本を読ませて頂き、冒頭でも述べましたが、時代は変われど人の普遍性に感動したことと改めて自戒の念にかられました。私も『仁』をさらに強化したいと思いました。驕らずさらに謙虚に学習回路を開いた状態で生きたいと思います。
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