日本初の株式会社は渋沢栄一の1873年に設立された『第一国立銀行』と言われていますが、実は小栗忠順(ただまさ)(小栗上野介(こうずけのすけ)とも呼ばれる)が日本で初の株式会社『兵庫商社』を1867年に設立してます。小栗忠順は以前私のブログでも紹介させていただきましたが、小栗忠順が手がけた改革や近代化は多岐にわたり近代日本に多大な貢献をしています。大隈重信(1838~1922)は、「明治の近代化はほとんど小栗上野介(忠順)の構想の模倣に過ぎない」と語り、福沢諭吉(1835~1901)も「 鞠躬尽瘁(きっきゅうじんすい)(国のために命をかけて尽くすこと)の人」と小栗をたたえています。
忠順斬首
しかし、小栗忠順の実力を恐れた新政府により小栗の父子ともにその家臣は無実の罪で斬首されました。有能過ぎるが故の悲劇です。もし小栗忠順が新政府の要人として迎えられていたらもっと素晴らしい国になっていたかもしれません。残念でなりません。
子孫を助けた偉人
ただ、小栗忠順の妻道子とその娘国子は会津に逃れ、その後東京に戻った道子らは生前忠順に世話になった三井の大番頭・三野村利左衛門に助けられました。利左衛門は忠順のお陰で三井家に破格の待遇で雇われた恩があったようで、そのため深川に立派な屋敷を用意して道子と国子の世話をして忠順の恩に報いたようです。1877年明治10年に利左衛門が病没すると、大隈重信の妻・綾子が道子と国子を世話したようです。
小栗忠順翁の偉業を知り、日本人として生まれたことに誇りを感じずにはいられません。
ダイナリンクス合同会社
代表 松井康成
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